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将棋の渡辺明九段が雑誌のインタビューでこんな事を語っていた。
息子に将棋を教えてみたらかつて自分が子供だった頃、簡単にできていたことが息子にはできなかった。
その時はじめて「あー自分には才能があったんだ。」と、気付いたという。
このインタビュー記事を読んで将棋をまったくできない身ながら、「そうだよね~」と言う妙に納得できる感覚になった。
才能というのは持っている本人にはわからない。
ちょうど水の中の魚が「水」に気づかないように、才能もまた本人にとってあまりに自然でそこにあることすら意識できない。
渡辺九段は息子という鏡を通してようやく自分自身の輪郭を知った。
では、全身で戦うプロ野球選手では、この問いにどう響くのだろう。
同じくらい残酷かもっと冷酷かも知れない。
盤上の才能は目に見えにくい。
一方、グランドでの才能は、打球の飛距離・塁間の走力・守備の巧拙で首脳陣やファンの目に触れ、
グランド外では年俸やスタッツの数字で容赦なく可視化される。
たくさんの「ふるい」しかも上段にいくほど網の目は細かくなる
プロ野球選手になるまでの道のりはよく階段に例えられる。
しかし最近は「ふるい」の方がしっくりくる気がする。
階段は自分の脚で登るものだけど、ふるいは他人がふる。網目からこぼれ落ちるのをきめるのは自分だけじゃない。
小学校の学童野球。ここがすべての始まりで、グランドにはまだ楽しさが満ち溢れている。
だが少しづつ足の速い子、肩の強い子、打球の質が違う子が頭角を現しはじめる。
リトルリーグやシニア、ボーイズといった中学の硬式野球に進む段階で最初のふるいが揺れる。
NPB12球団のジュニア。KONAMI CUPの選抜を経験する子は、小学生でありながら50m走7.3秒、球速100km超、遠投60m以上を要求される世界に片足を突っ込む。
そこから高校野球、大学・社会人・ドラフト会議からの育成選手契約・支配下選手契約へ進む。
ようやくプロ野球1軍または2軍以下のふるいに掛けられる。
プロ野球選手までのたくさんのふるいは、入口の網の目が一番粗く、出口に近づくほど網の目が細かくなる。
最後のふるいの網の目は針の穴くらいのものだ。
ドラフト会議で指名される確率は全国の野球部員を母数にとれば約0.196%、1000人に2人しかいない。
高校野球強豪校や東京六大学や東都の「本気層」に絞ってもせいぜい3%。
プロ野球の世界に足を踏み入れても、ふるいに掛けられ続けるのがプロ野球選手で、
「プロ野球選手になる」という事と、「プロ野球選手であり続ける」ことのあいだにはもうひとつの深い谷が待ち構えている。
ふるいの網の目が変わるたびに才能の物差しも変わる
恐ろしいほど残酷なのは、各段階で測られている「才能」の中身がまるで違うこと。
小学生から中学生にかけて問われるのは、ほぼ純粋なフィジカル(身体資本)。
50m走のタイム、遠投の距離、投球の球速。つまり骨格と筋繊維と神経伝達速度など生まれながらに備わっているスペック。
ここで同世代より身体の成熟が2年くらい先行している子がいる。
彼らのフィジカルアドバンテージを練習量だけでひっくり返すのは極めて難しい。
高校生になると物差しは「再現性」に変わる。
一度できたプレーを100回やって90回再現できるかどうか。
甲子園のマウンド、あの異様な歓声と応援の中でいつも通り腕を振れるかどうか。
甲子園の試合中継を見ていて思うのだけど、地方大会では完璧なピッチングで無双していたエースが、甲子園の初戦で崩れる場面を目の当たりにすると技術とは別の何かがあるとしか考えられない。
大学・社会人では成長曲線の角度と持続力、プロに入れば適応力。
バッターであれば初見のピッチャーへの対応速度、ピッチャーならデータ解析された後の引き出しの多さ。
才能という言葉はひとかたまりに聞こえるけど、実態は複数の層でできている。
身体的な素材、技術の習得速度、状況判断の精度、コンディションを維持できる身体の頑丈さ、そして痛打された後や凡打・エラーした後に立ち直るメンタルの回復力。
これらのどれかひとつが欠けていれば、ふるいのどこかで必ず落されることになる。
才能とは努力を効率よく変換できる回路のことだ。
同じ1000回の素振りがある選手には打撃フォームの微調整として蓄積され、別の選手にはただの筋肉疲労として消えていく。
その差を生むのが回路の太さで、回路の太さは残念ながら後天的にはおる程度までしか拡張できない。
努力が「純粋」に効く場所は思ったより手前にある
努力を否定したいわけじゃない。
小学生から中学生までの野球は、練習量と創意工夫が才能差をある程度までは埋められる。
身体が未完成で伸びしろの予測がつかない時期だからこそ、「がむしゃらに努力した子」が報われる場面は確かにある。
ここが努力の量が、「純粋」に効く最後の楽園かも知れない。
でもドラフト指名が視野に入る高校の終盤から大学にかけて、才能の差は加速度的に開きはじめる。
球速145kmのピッチャーが150kmに到達するために必要なのはもはや練習量ではない。
筋腱の弾性、肩甲骨の可動域、リリースポイントでの繊細な指先の感覚など素質としか呼びようのないものが問われる。球速5kmの壁は想像以上に分厚い。
プロ野球選手になってからは才能の上に努力の「質」が掛け算される世界に身を置いたことになる。
プロ野球では、努力単体の力はほとんど無力に近い。
正しい方向に、正しい負荷で、正しいタイミングで努力できること自体がある種の才能だと言っても過言ではない。
イチローが自分を「セミ」に例えたことがある。暗い土の中で何年も準備してようやく地上に出る。一方、松井秀喜のことを「黙っていてもプロ野球選手になってくださいと誘われるピカピカの人」と評した。
あのイチローが… 世界一ストイックと呼ばれた男が、松井秀喜を「別種の生き物」として見ていた。
努力の象徴のような人が、別の才能の前では自分を地中のセミと呼ぶ、これがプロの世界のスケールだと思う。
現役6年 引退26歳という数字の冷酷さ
NPB選手の平均在籍年数は直近で6.3年。2020年時点で7.7年あったので短くなっている。
平均引退年齢は26.3歳。20代半ばで多くのプロ野球選手がユニフォームを脱ぐ。
プロ入りから3年以内に4割が消え、10年以上プレーできる選手は2割に満たない。
ソフトバンクが4軍制を敷いて話題になったが、育成選手が支配下登録を勝ち取る率は2%未満というデータもある。
100人のうち98人はプロ野球選手として、1軍の球場のスコアボードに選手名を表示させることなく去っていく。
プロ野球選手になることは終点じゃない。それは最後のふるいのスタート地点でしかない。
あなたが名前を覚えているプロ野球選手はほぼ上位20%にいる選手たちだ。
テレビの試合中継に映り、スポーツ新聞の見出しになり、SNSでトレンドに上がる上位20%の選手たち。
その陰にはたくさんの「知られなかった才能」が静かに積み重なっている。
年に何試合かマツダスタジアムで開催される2軍の試合をよく見に行く。1階内野席だけのお客、鳴り物のない応援、スタンドのまばらな拍手の中でプレーする若い選手を見るたびに、彼らの才能と努力がどこまで届くのか? 考えてしまう。
でも、球団首脳陣もファンも誰にもわからない。
「がんばれ!」と応援はするが、彼らの才能と努力が1軍へ届かない方がはるかに多い現実を毎年見せられている。
渡辺明九段の言葉をグランドに置き直す
冒頭に書いた渡辺九段の気づきの核心は、「かつて自分にできたことが、できない存在がいる」という発見だった。
自分にとっての「当たり前」が他人にとっては壁であるという認識。
プロ野球のたくさんのふるいは、この気づきを各段ごとに強制する装置だと思う。
学童野球で一番だった子が中学野球では普通になる。高校県大会で無双したエースが甲子園でボコボコにされる。甲子園のスター選手がプロ野球の2軍で埋もれる。
ふるいに掛けられる度に選手は、自分より「当たり前」のレベルが高い人間がいることを無慈悲に身体ごと思い知らされる。
大谷翔平は野球の神様にとりわけ長い翼をもらった。
イチローは神様にひときわ執拗な忍耐をもらった。
翼も忍耐もどちらも才能。
努力はそのスイッチを入れる行為に過ぎない。
スイッチを押さなければ何もはじまらないが、スイッチの先に繋がる回路の容量は生まれた時におおむね決まっている。
この事実を知ってしまうともう努力至上主義には戻れない。
草野球のグランドには元高校球児がよく紛れ込んでいる。彼らのストレートは明らかに周囲のボールとは異質の音がする。
「あれくらい投げれれば楽しいだろうな~」なんて思ったことのある人も少なくないはずだ。
ただどれだけ憧れたところで、あの回転を生む回路が自分の腕に備わってなければ同じ球は投げることはできない。
それは悲しいと言うより、ただの事実だ。
才能の三層構造・あるいは階段と燃料の話
話がとっ散らかったので、整理してみる。
プロ野球選手を支える才能には3つ層がある。
入口の才能~骨格・筋繊維・神経系といった身体の設計図。
中盤の才能~技術の学習速度とそれを試合で再現する力
出口の才能~加齢と故障に坑がいながら変化する環境に適応し続ける力。
どの層が欠けても頂点には届かない。
「努力すれば誰でもプロ野球選手になれる」は、プロ野球選手になっただけの人ではなくプロ野球で結果を残した選手だけが振り返って言える幻のようなもの。
「才能がすべて」は、途中でふるいの網の目を自らくぐり抜けて振り落とされる許可を自分へ出すための呪文だと思う。
どちらも半分本当で半分は嘘じゃないかな。
本当のところプロ野球選手になるとは、「才能の階段を努力という燃料で登りきる行為」だろう。
そして燃料が尽きる前に、階段そのものが消えてしまう選手の方がずっと多い。
だからこそプロ野球では階段の最後の一段を踏み越えた選手だけが、「あれは努力のおかげだ。」と笑うことを許される。


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